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恋する花、マーガレット
向き合うこと

365日包丁を使わない日はない、と言ってよいほど料理をしている。
よくもまあ、こんな日々のごはんづくりを飽きずにやっている。と
我ながら感心する。
たぶん料理をする、ということよりも
食材に触れる、ということの方が好き。
いまは邪念があるせいか(笑)野菜の声は聞こえないけれど
子供のころは畑に行くと
「ここにあるよ」(ナスの言葉)
「こんなあじはどう?」(ピーマンの言葉)
「まだ食べごろじゃないよ」(かぼちゃの言葉)
といろいろ教えてくれたものだ。
長閑なド田舎育ちの私には、自然あってのもの。
扱いにも気を付けて
どう調理すればおいしくなるか、というのは子供のころに身に付いたものなのだと思う。
母が乳製品や鶏肉以外の肉類、タコ以外の魚介を食せなかったので
プラス料理があまり得意ではなかったため
日々のごはんは米、野菜、豆、祝い事があると父が飼っている鶏を絞める、という具合。
でもそれでも豊かな食だった、と振り返れば思う。
私は一日に3回、きちんとした食事を摂らなければいけない、とは思っていない。
一日に1回、素材や食材と向き合う食事ができればいい。
自分が食べたいものが、そのとき欲しているものだから
なるべく自分自身に問うて
なるべくなら手作りで、手間をかけて。
その姿勢でいることで
もしかしたら、そのうち食材たちが語りかけてくる日がやってくるかもしれません。
原動力

春は、何かといろんなことを考えて
直ぐに行動したくなります。
いま、かんがえていることがいくつかあって
どれも実現できれば素敵なことだな、と思っています。
人を繋げるツールはいくつかあるけれど
私ができることは「ごはん」だけなので
そこに笑顔を付ければ最高の豊かな時間の共有ができます。
幸せ、というとお金やもの、と結び付けがちですが
そうではない、もっと奥深く、
大げさに言うと細胞レベルで身体が震えるようなことが
それぞれできるようになると、それはそれは素晴らしいと思うのです。
何かが生まれる瞬間は
一人で考える時間も大切だけれど、
(という私はわりと一人で考えることの方が多いのですが)
言の霊を使ってアイデアを出し合う、という方が
いろいろな方向を向いていた考えや思いが
ふとしたきっかけで、ひとつの大きな塊になる。
そこからエネルギーは一気に加速して
たとえ目標に到達しなくとも
1ミリでも自分たちの力で動いた、ということが
人々を幸せにする原動力になるのではないか、と
いままさに感じているのです。